プロフィール
ご覧いただきありがとうございます。
サルコンと申します。
私は40代の中間管理職、
いわゆる「おっさんサラリーマン」です。
白髪やシミが増え始め、
体力の衰えも感じる今日この頃ですが、
毎日仕事と家族のために奮闘しています。
この記事を読んでいるあなたも、
もしかしたら私と同じように、
「普通のサラリーマン」として、
日々の生活に追われているのかもしれません。
あるいは、家族を支えながら、
自分のキャリアに悩んでいる方かもしれません。
私自身、特別な経歴やスキルを持っているわけではありません。
むしろ、どこにでもいる平凡なサラリーマンです。
しかし、数々の試練や挫折を乗り越え、
副業を通じて少しずつ人生を好転させてきました。
このプロフィールでは、
私がどのようにしてどん底から這い上がり、
安定した生活を築いていこうとしているのか、
その過程を詳しくお伝えしたいと思います。
平凡な学生時代と挫折
私は日本の中でもド田舎と呼ばれる街で生まれました。
家の周りには田んぼや畑が広がり、
自然豊かな環境で幼少期を過ごしました。
私の家庭は、どこにでもあるような普通の家庭で、
両親は私の教育に熱心に取り組んでくれました。
幼少期は、それなりに楽しい思い出も多く、
のんびりとした時間を過ごしていました。
小学校に上がると、学区が違うこともあって
幼馴染たちとは別々の学校に通うことになりました。
新しい友達もできましたが、
どこか自分に自信が持てず、
常に孤独感を感じていました。
特に、学校生活で感じたのは、
「自分は他の子供たちとは違う」という
漠然とした違和感です。
授業中も集中できず、
友達との会話にも積極的になれない自分がいました。
小学校時代の私は、
内向的な性格が形成され始めていました。
自分を表現することに苦手意識を持ち、
友達と遊ぶ時間よりも、一人で過ごす時間の方が多かったです。
特に、集団活動やクラス全体でのイベントが苦手で、
そういった場面ではいつも居場所を見つけられないでいました。
そんな私を見て、両親は心配していたかもしれませんが、
特に大きな問題になることはありませんでした。
しかし、中学校に進学すると、状況はさらに悪化しました。
中学校は、私にとって暗黒の3年間でした。
小学校時代の友達とは別々のクラスになり、
新しいクラスメートと打ち解けることができませんでした。
中学校生活のスタートが悪かったこともあり、
私の学校生活は一気に暗いものとなりました。
入学直前に学校で火事が発生し、
警察が出動するという騒ぎがありました。
さらに、入学式が終わった後に、
トイレで誰かが爆竹を鳴らすという事件が起き、
学校全体が混乱に陥りました。
そんな波乱のスタートを切った中学校生活が
楽しいものになるはずがありません。
私はますます内向的になり、友達作りが難しくなっていきました。
この時期の私は、学校に行くこと自体が苦痛でした。
クラスメートともうまくコミュニケーションを取ることができず、
孤立感を深めていきました。
毎日がただ耐え忍ぶだけの日々で、
何のために学校に通っているのかがわからなくなっていました。
授業中もほとんど集中できず、
休み時間になると一人で過ごすことが常でした。
そんな自分に対する自己嫌悪感が募り、
ますます自分を追い込んでしまいました。
しかし、そんな暗い中学校生活にも終わりが来て、高校に進学しました。
高校生活は、私にとって少し明るい転機となりました。
仲の良い友達が同じ高校に進学したこともあり、
ようやく「学校生活が楽しい」と感じられるようになりました。
初めて彼女もでき、クラスメートとも積極的に話すようになり、
高校生活を満喫しました。
彼女とのデートや、友達と過ごす時間は、
私にとって貴重なリフレッシュの機会でした。
初めて「青春」というものを感じることができたのです。
特に、文化祭や体育祭といった学校行事に参加することで、
クラスメートとの絆が深まり、
自分自身も少しずつ変わっていきました。
これまでの内向的な性格から、少しずつ自分を表現できるようになり、
友達と過ごす時間が楽しいと感じられるようになったのです。
しかし、すべてが順調だったわけではありません。
部活だけはあまりうまくいきませんでした。
同級生とは話が合わず、
部活の仲間からはハブられてしまうこともありました。
特に、部活動の中での孤立感は私にとって大きなストレスでした。
部活のメンバーとは性格が合わず、
どうしても打ち解けられない自分がいました。
そのため、部活動に参加すること自体が苦痛になってしまい、
部活をやめようかまで考えました。
部活をさぼって友達と遊び歩き、不良と呼ばれる先輩と
よくつるんで遊んでました。でも心の中の虚無感は
どれだけ楽しく遊んでも埋まることはありませんでした。
そこで考えたんです。
何で合わない奴らのために部活をやめないといけないのか。
そいつらに負けを認めるようで腹立つ。
絶対最後まで部活をやり切る。
そう考えて、話はしないし気分は悪かったですが、
最後の大会まで真面目に練習して挑み、
結果県代表にまで選ばれたのは私の部活の集大成でした。
部活を引退してからは友達と過ごす時間が増え、
高校生活はますます充実していきました。
彼女とも良い関係を築くことができ、
学校生活が楽しいと感じる日々が続きました。
ところが、大学受験では大きな挫折を経験します。
行きたかった大学には推薦入試も含めて何度も挑戦しましたが、
すべて失敗に終わりました。
滑り止めの大学も次々と不合格となり、
最終的には滑り止めの滑り止めで受けた大学にようやく合格しました。
この経験は、私にとって大きなショックであり、
人生における最初の挫折と言えるでしょう。
大学生活の現実と将来への不安
大学生活が始まったものの、
私の期待とは裏腹に、その現実は非常に厳しいものでした。
キャンパス内ではたばこの煙が漂い、
授業中も真剣に勉強している学生はほとんどいませんでした。
無駄話をしたり、授業中に寝ている学生が大半で、
自分が学びたいと思っていた環境とはほど遠いものでした。
キャンパスの雰囲気は全体的に緩く、
真剣に学業に取り組むという意識が薄い学生が多いように感じました。
廊下では学生たちがたむろしてタバコを吸い、
授業後はキャンパス内で遊んでいる学生が目立ちました。
私自身、次第に学業へのモチベーションを失い、
ただ惰性で大学生活を送っていたように思います。
さらに、大学生活の中で感じたのは、「将来への不安」でした。
周囲の学生たちは、学業に対する関心が薄く、
将来について真剣に考えている様子もありませんでした。
それまでの私は、なんとか大学に合格しさえすれば
明るい未来が待っていると思っていましたが、
その期待は見事に裏切られました。
大学生活が始まった当初は、新しい環境に対する期待や希望がありましたが、
その現実は私の想像を遥かに下回るものでした。
特に、大学の授業に対する失望感が大きく、
学びたいと思っていた内容がほとんど含まれていないことに愕然としました。
教授たちの講義も形式的で、学生たちもただ単位を取るためだけに
授業に出席しているような印象を受けました。
この時期、私は将来について何度も考えました。
このままではいけない、何かしなければならないと感じつつも、
何をどうすれば良いのかが分からず、
焦燥感だけが募っていきました。
大学の授業も次第に受け身になり、
ただ時間が過ぎていくのを待つだけの日々が続きました。
周囲の学生たちが遊んでいるのを見て、焦りや不安を感じながらも、
自分もその流れに流されてしまい、
無為に時間を過ごしてしまうことが多かったです。
私が大学で学びたかったのは、実社会で役立つ知識やスキルでした。
しかし、実際にはそのような内容はほとんど提供されず、
ただ単位を取るための形式的な学びばかりが求められていました。
このギャップに失望し、将来に対する不安がますます大きくなりました。
大学受験失敗で自己嫌悪に陥ることもしばしばありました。
そんな中でも、親がせっかく進学させてくれた恩を無駄にしたくないと考え、
就職活動は成功させようと真剣に取り組みました。
周囲の学生が遊んでいる間も、私は大学の就職課に通いつめ、
履歴書を書き、面接の練習を繰り返しました。
特に、将来への不安を少しでも解消するために、
就職活動に全力を注ぎました。
自己PRや志望動機を何度も見直し、企業研究にも力を入れました。
その結果、なんとか第一希望の有名企業に就職することができました。
これが、私にとって一つの転機となりました。
社会人としての成功とリーマンショックの打撃
社会人としてのスタートは順調でした。
毎日終電まで働くほど忙しい日々が続きましたが、
仕事にはやりがいを感じ、周囲の人間関係にも恵まれていました。
上司や同僚、先輩後輩との関係は良好で、毎日が充実していました。
給料も良く、金銭的な不安もなく、順風満帆なサラリーマン生活を送っていました。
私は、仕事に対して情熱を持って取り組んでいました。
新しいプロジェクトが始まるたびにワクワクし、
達成感を味わうことができました。
特に、初めて担当したプロジェクトが成功した時の喜びは、
今でも鮮明に覚えています。
チーム一丸となって目標に向かって努力し、その結果が実を結んだ瞬間の
達成感は、何ものにも代えがたいものでした。
しかし、そんな順調だった私のサラリーマン生活が一変したのは、
リーマンショックが訪れた時でした。
それまで順調だった取引先が次々と契約を打ち切り、
あるいは取引条件を大幅に見直す事態に直面しました。
会社全体が混乱し、私自身もその影響をもろに受けました。
これまで築いてきた仕事の成果が、一瞬で崩れ去るような感覚に襲われ、
絶望感に打ちひしがれました。
リーマンショックの影響は計り知れず、それまで当たり前のように続いていた
仕事が一気に減少しました。
お得意様からの取引は軒並み終了、
あるいは大幅な減額を余儀なくされました。
にもかかわらず、会社からは前年比150%増のノルマが課され、
どう頑張っても達成できない目標に押しつぶされそうになりました。
私は、なんとかこの状況を打開しようと必死に努力しました。
しかし、どれだけ努力しても状況は好転せず、むしろ悪化する一方でした。
精神的にも肉体的にも限界を迎えた私は、
うつ病を発症しました。
毎日遅くまで働き続け、プレッシャーに耐え続けた結果、
心が壊れてしまったのです。
うつ病と診断された時、初めて自分がどれだけ無理をしていたのかを
思い知らされました。
うつ病からの復活と新たな人生の模索
うつ病が発覚したことで、私は仕事に対する考え方が大きく変わりました。
確かに、給料は良く、経済的には安定していました。
しかし、その裏には毎月80時間以上の残業があり、
時には120時間を超えることもありました。
長時間労働に耐え続けた結果、心身ともに疲弊し、
命を削ってお金を稼ぐ日々が続いていたのです。
うつ病と向き合う中で、私は「このままではいけない」と強く感じました。
復職後は無理をしないように心がけましたが、
それでも長時間残業が続き、精神的な負担は軽減されませんでした。
仕事への情熱を持ち続ける一方で、心のどこかで
「このままでは本当に壊れてしまう」という恐怖が常にありました。
そんな中、さらに追い打ちをかけるような出来事が起こりました。
当時、結婚を考えていた彼女が二股をかけていたことが発覚したのです。
そのショックは計り知れず、私の心は再び壊れてしまいました。
うつ病が再発し、服用する薬の量は最大で8倍に増加。
体重も急激に減少し、半年で10キロ以上落ちました。
このままでは本当に命を落としてしまう――
そう感じた私は、転職を決意しました。
しかし、転職活動は思うように進まず、焦りが募るばかりでした。
そんな時、東日本大震災が発生しました。
震災後のリセットと新たなスタート
東日本大震災は、私の人生における最大級の転機となりました。
被災地に住んでいた私は、仕事どころか生活そのものがままならない
状況に追い込まれました。
家族や友人との連絡も途絶え、毎日が不安と恐怖でいっぱいでした。
震災を経験する中で、私は「すべてをリセットしよう」と決意しました。
仕事も、人間関係も、住む場所も、何もかも一新し、
新たな人生を歩む覚悟を決めました。
信頼できる人たちに相談し、避難しながら新しい職場を探し、
面接や家探しを同時並行で進めました。
新しい職場と副業への目覚め
新しい職場では、以前に比べて残業時間が大幅に減り、
心身ともに余裕を持って働くことができるようになりました。
数か月後にはうつ病は寛解し、心も体も回復することができました。
しかし、ここで新たな問題が浮上しました。
年収が前職の4割減となり、生活が一気に厳しくなったのです。
生活費を抑えるために節約を心がけましたが、
それでも限界がありました。
急激な収入減に適応するのが難しく、
家賃や光熱費、食費など、基本的な生活費を削っても
効果は芳しいものではなく、将来に対する不安が再び頭をもたげました。
そこで考えたのが、副業で収入源を増やすことでした。
副業に興味を持ったのは、収入を増やすためだけではなく、
将来に対するリスクヘッジとしても有効だと感じたからです。
私は、まず手始めにMLM(マルチレベルマーケティング)に挑戦しました。
知り合いが始めたばかりだったこともあり、
その流れに乗って私も参加することにしました。
しかし、MLMは私には全く合いませんでした。
独特の雰囲気や人間関係に耐えられず、
わずか2か月で退会することになりました。
うつ病の時に感じたような強いストレスを感じ、
精神的に追い詰められてしまったのです。
MLMでの失敗を通じて、私は自分には適した副業を見つける必要があると
強く感じました。
次に挑戦したのが、アフィリエイトでした。
ブログやSNSを活用して商品を紹介し、成果報酬を得るという
シンプルな仕組みが、私にはぴったりでした。
アフィリエイトの魅力は、初期投資が少なく、
リスクがほとんどない点です。
また、顔を出さずに活動できるため、
プライバシーを守りながら収入を得ることができます。
これなら、仕事を続けながらでも副業ができると感じ、
すぐに始めることにしました。
アフィリエイトを始めるにあたり、まずはブログを開設し、
次に、アフィリエイトの基礎を学ぶために、情報教材を購入し、
勉強を始めました。
特に「アンリミテッドアフィリエイト」という教材は、
非常にわかりやすく、私にとって大きな助けとなりました。
アフィリエイトの勉強を始めてからは、空いた時間を見つけては記事を書き、
ブログを更新する日々が続きました。
最初は収益がなかなか上がらず、試行錯誤の日々が続きましたが、
諦めずに続けることで徐々に成果が出始めました。
特に、最初の成果報酬が入った時の喜びは格別で、
これなら頑張れば本業の収入を超えることも可能だと感じました。
家族との時間と副業の両立
その後、私は結婚し、子供にも恵まれました。
妻との生活は順調で、仕事も安定していました。
しかし、子供が生まれてしばらくすると、次第に家計が厳しくなり始めました。
共働きで生活を支えていたものの、妻の体調不良で休職を余儀なくされ、
収入が減少。
家計は一気に崩壊の危機を迎えました。
「これ、お金が足りなくなるんじゃないか?」という不安が的中し、
ギリギリの生活から、糸の上を歩くような状況に追い込まれました。
そこで再び、副業を再開することにしました。
この時期に再開したアフィリエイトは、以前の経験が生かされ、
スムーズに作業を進めることができました。
副業を通じて得た収入は、家計の足しになり、
わずかではあります子育てや家計の負担を軽減することができました。
副業を再開したことで、家族との時間を大切にしながらも、
経済的な安定を取り戻すきっかけを手にしました。
アフィリエイトの魅力は、時間や場所に縛られずに収入を得ることができる点です。
子供の世話をしながら、夜や週末に記事を書き、
収益を上げることができるため、家族との時間を犠牲にすることなく、
副業を続けることができています。
また、副業を通じて得た知識や経験は、本業にも役立ちました。
アフィリエイトで学んだマーケティングやSEOの知識は、
仕事での企画や提案にも活かすことができ、
本業での評価も高まりました。
副業を通じて得たスキルが、本業にもプラスの影響を与えたことは、
私にとって大きな収穫でした。
令和の子育てサラリーマンへ
今の日本で子育てをしながら働くサラリーマンにとって、
生活はまさに修行のような厳しさがあります。
政治や社会制度に頼ることだけでは、家族を幸せにすることは難しいと
感じることも多いでしょう。
しかし、そこで諦めるのではなく、副業という新たな選択肢を考えてみてほしいのです。
副業を始めるために必要なノウハウやツールは、
今の時代、手の届くところにたくさんあります。
情報教材、パソコン、スマホ、そしてブログやSNSといった発信手段が揃っている現代、
サラリーマンが副業を始めるハードルは決して高くありません。
やるかやらないかはあなた次第です。
副業を通じて、あなた自身や家族の未来を少しでも明るくすることができるかもしれません。
副業を始めることで、収入を増やすだけでなく、
自分自身のスキルアップやキャリアの幅を広げることができます。
私自身、副業を通じて得た知識や経験が、本業にもプラスの影響を与え、
さらには家族との生活を安定させる大きな力となりました。
このブログが、同じような悩みを抱えるサラリーマンや、
これから副業を始めようとしている方々にとって、
少しでも役立つ情報を提供できればと思っています。
私が経験してきたことや、成功した方法、失敗から学んだことを共有することで、
皆さんの生活が少しでも良くなるお手伝いができればと願っています。
サラリーマンとしてのキャリアや子育て、副業に関する情報を発信していく中で、
少しでも多くの方に「やってみよう」と思っていただけるような内容をお届けしたいと
考えています。
日本のサラリーマンとして、子育てをしながら生活を支えることは、
決して簡単なことではありませんが、
副業を通じてその負担を軽減し、より豊かな生活を築いていくことは可能です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。